市民センターが大規模災害時に果たす役割-仙台市における東日本大震災時の実態調査から-ROLE OF THE CIVIC CENTER DURING A LARGE-SCALE DISASTER -From the fact-finding survey of Sendai City at the time of the Great East Japan Earthquake-
佐藤 優太
1.はじめに
1-1.背景
我が国では、戦後の公民館設置以降、近年では地域の公共施設として必要不可欠な存在となっており、災害時は避難所として利用された事例もある1)。さらには、社会教育施設という側面から、災害後の地域防災活動への寄与も見られる。一方で、東日本大震災では大規模かつ広範囲に被害が及び、公共性が高い施設では、指定避難所の指定有無に関わらず発災直後から多くの避難者が発生した。そのような、いわゆる指定外避難所では、物資の確保や避難所内自治、運営主体など独自の取り組みや工夫によって運営された2)。仙台市の公民館である市民センターも例外ではなく、指定外避難所123か所のうち、33か所が市民センターであった。
1-2.既往研究
指定外避難所に関する研究は、坂田ら3)の阪神淡路大震災時の避難傾向に関する研究や、荒木らによる釜石市及び東松島市における指定外避難所の発生傾向に関する研究4)など、指定外避難所の開設に関するものが多い。一方で、市民センターなどの公共施設における避難者発生傾向については明らかにされているものの、避難所運営や災害を受けての公共施設における事業及び地域の変化については明らかにされていない。本研究に先立って実施した研究5)では、指定外避難所の実態把握を目的に約1,300名の避難者が発生した仙台市宮城野区高砂市民センターを対象として調査を実施した。結果として、発災期は施設管理者や地域の町内会長を主体とし、地域企業の支援を受けて組織的運営を行い、段階的に避難者へ運営を委譲していくことで、4月には避難者主体の運営に移行、さらには行政が運営に参加したことにより、長期にわたる運営を行った実態を明らかにした。これらは、市民センターが行う社会教育活動として市民センターと地域住民、地域企業の横断的なつながりを育んでいたことが、結果として避難所の自主運営につながったと考えられ、「地域による避難所の自主運営」の可能性が示唆された。その後、高砂市民センターは2014年に指定避難所に指定され、防災教育事業や、小中学校と連携した避難訓練など、市民センターが行う社会教育事業も変化し、地域防災を担う拠点となった。これは指定外避難所の中でも、地域の社会教育を担う市民センター特有の動きであると言える。
1-3.目的
高砂市民センターの事例では、市民センターの担う地域に対する学習や交流の場の創出といった平時の社会教育事業が、災害時の避難所運営に活かされ、その後の地域防災活動を支える拠点に変化したことが明らかになった。一方で、地域のつながりが希薄とされている都市中心部や津波被害のない内陸部の市民センターにおける避難所の実態や、震災を経ての市民センター及び地域の変化は依然不明である。震災から12年が経過し、地域住民の構成や防災に対する取り組みも変化している現在において、大規模災害を経験した仙台市市民センターの震災時の活動実態を改めて整理し、その後の地域防災活動の変化を捉えることは、災害の絶えない我が国において、今後の大規模災害に向け、市民センターの役割を考える一助となりうると考えられる。そこで本研究では、仙台市市民センターの震災時の実態を把握し、その後の事業及び地域の防災体制の変化と現状を明らかにすることで、今後の大規模災害に対して市民センターが果たす役割について考察することを目的とする。
2.調査方法
研究方法について以下に示す(表1)。第2章では、文献調査(調査①)で仙台市市民センターの概要と、震災前後の仙台市地域防災計画においての位置づけについて整理する。第3章では提供資料を用いて市民センターの震災時の活動実態を把握する(調査②)。第4章では、第3章の結果から、複数の市民センターを選定し、震災を経ての事業及び地域の変化をヒアリング調査(調査③)で明らかにする。最後に第5章では、本研究の結論とし、大規模災害に向けて市民センターが果たす役割と今後に向けての課題について述べる。
3.用語の定義
本研究では以下のように用語を定義した(図1)。
・震災時:発災直後から避難所運営~閉所まで
・震災後:各避難所の閉所後
・~館:各市民センター
・避難所運営:物資食料の確保配給を行い
・施設での宿泊を伴った避難を指す
・避難所開設:避難者収容後、避難所運営を開始したことを指す
・受け入れ,収容:避難者を一時的に施設内に収容することを指す
4.震災時の市民センターの活動実態
本研究では、震災時の仙台市市民センターの活動実態の把握を行うにあたり、市民センターの指定管理団体より提供を受けた「東日本大震災後の地域の活動記録」注1)から全市民センターの実態把握を行う。当資料は、地域住民の震災当時の活動実態と、地域が抱えた課題の把握を目的として、市拠点館、区拠点館、地区館全ての市民センター59館の震災当時の状況を自由記述で回答を求め、2011年12月にまとめたものである。
4-1.市民センター全体の状況
市民センターへの避難者の有無注2)と避難所開設数注3)について集計した結果(表2)、避難者は40館で確認され、32館で避難所を開設した。
市民センターにおける避難所運営の主体注4)について集計した結果(表3)、4つの主体構成による避難所運営が見られ、避難所の運営は施設職員を中心に行われた。
市民センター避難所に対する地域団体や企業などの民間からの支援について、支援の有無と支援主体、内容について集計した(表4)。結果、避難所開設した市民センター32館のうち、23館で何らかの支援を受け運営された。支援主体と内容は、11の支援主体と4種の支援内容が見られた。
4-2.市民センターの立地分類
市民センターの立地特性の実態を把握するために、資料より把握した市民センターの避難所開設状況を立地ごとに分類する(図1)。
①津波浸水(地域):津波浸水被害を受けた地域を管轄する市民センターとし、宮城野区、若林区の一部が該当した。
②津波浸水隣接(地域):津波浸水を受けた地域に隣接する地域を管轄する市民センターとし、宮城野区、若林区、太白区の一部が該当した。
③各区内陸(地域):津波浸水地域、津波浸水隣接地域以外の各区内の地域とした。細分類として仙台市内中心部は「中心部」とし、主に宅地が立地する地域は「郊外部」とした。
4-3.避難所開設までの流れ
市民センターの避難所開設の要因を把握することを目的に、開設に係る経緯を地域の避難状況と併せてフローチャートでまとめた。結果、計10パターンに分類され(図3)、避難所開設は避難者が直接市民センターに避難したのち、施設職員が判断したか、外部からの開設指示・要請を受けて開設されたパターンに大別された。外部からの開設指示・要請の有無で各事例の分析を行った。
①市民センター職員が開設判断
発災後、施設職員単独で避難所の開設判断を行った12館が該当した(表5)。
この分類では、多数の避難者の発生や津波襲来の情報など各館の地域状況により開設判断が行われ、津波浸水地域及びその隣接地域の市民センター3館がこの分類に該当した。館長が開設判断を下した4館では、津波襲来の情報(図3)や要配慮者の保護といった緊急的に開設を判断せざるを得ない状況からの開設判断が行われた。また、避難者に対し指定避難所を案内している6館が見られ、発災直後の開設は想定されてなかったと考えられる。多数の避難者の発生に加え、悪天候、ライフラインの途絶、指定避難所への避難を不安とする避難者の存在など各館で判断を迫られた状況が推測できる。
②外部からの指示・要請を受け開設
指定避難所や地域団体など外部から、市民センターへ指示、要請があり、開設を行った9館が該当し、全て内陸地域に立地する市民センターであった(表6)。
近隣の指定避難所の定員超過を受け行政からの指示で開設された青葉区G館(内陸中心部)(図4)他2館や、指定避難所が被災したことで学校職員から要請を受け開設している泉区I館(内陸郊外部)に対し、地域団体より要請を受け開設している青葉区H館(内陸郊外部)、泉区M館(内陸郊外部)が見られた。青葉区H館(内陸郊外部)は指定避難所内の要配慮者の収容を要請されており、指定避難所の被災を受けマンション自治会の指示で住民が避難し開設している太白区J館(内陸郊外部)も見られた。この分類からは、市民センターが指定避難所の定員超過や被災から機能不全に陥った際の代替避難施設として、行政及び地域団体から認識されていたことが考えられる。また、福祉避難所と類似した要配慮者の2次避難場所としての機能も求められた事例も見られた。
③一時避難先として収容
前述した2分類とは異なり、避難者が少数か指定避難所に移動することを前提とした一時的な避難者の収容を行っている5館が該当した(表7)。
避難者が少数であるか、悪天候から避難者を一時的に収容したのち、避難者が数時間で帰宅あるいは指定避難所へ移動している太白区H館(内陸郊外部)他2館が見られた。一方、指定避難所へ移動を前提に収容を行うも、避難者の増加や夜間にかけての指定避難所の定員超過から開設を余儀なくされた青葉区B館(内陸郊外部)(図5)、宮城野区I館(津波浸水地域)も見られた。以上から、一時的な収容のみを行った市民センターでは、太白区H館のように時間経過により避難者が減少した事例や、青葉区B館のように避難者収容ののち、指定避難所が定員超過したことで避難所となった事例など、地域状況により収容後の対応が分かれることが明らかになった。
以上から市民センターの避難所開設の要因として以下のことが考えられる。
(1)指定避難所の機能不全
指定避難所の定員超過や被災、未開設を原因として避難所開設を行った市民センターが6館と最も多く見られた。うち4館が行政からの指示や学校職員から要請を受け開設しており、地域内で指定避難所以外に避難者が収容可能な公共施設として選定されていることが考えられる。また、指定避難所への移動を前提に一時収容後、指定避難所が定員超過したことで避難所対応を余儀なくされた事例や、指定避難所の被災を受け、自治会員が避難者に対し移動を促した事例からも、指示、要請の有無に関わらず指定避難所の機能不全が開設原因となった市民センターも見られた。
(2)指定避難所への不安
一部の地域住民が指定避難所への避難を拒み市民センターへの避難を強く要請した結果、開設を判断した市民センターが3館見られた。何れも、市民センターの居住性の高さや、指定避難所の立地が関係しているものと考えられる。
(3)要配慮者の保護
高齢者や乳幼児連れ親子などの要配慮者の収容を理由として開設した市民センターが4館見られた。何れも指定避難所への移動が困難であるとの判断理由であり人道的な観点から、指定避難所の立地や余震が続く中での要配慮者の保護を目的として収容したものと考えられる。
(4)悪天候による避難者収容
発災後、避難者に対し指定避難所を案内も、その後の悪天候により収容を判断した市民センターが4館見られた。要配慮者の保護を目的とした事例と同様に人道的観点から判断を下したものと考えられる。
(5)立地特性による避難者収容
市民センターの立地分類ごとにみると、津波浸水地域では何れも避難者が発生しているが、開設パターンは各館で異なった。津波浸水隣接地域では、開設されたのは1館のみであった。内陸地域では各区により様相が異なり、青葉区では仙台市中心部を中心として、避難所開設した市民センターが分布しており、泉区では仙台市営地下鉄南北線駅やJR線を有する地区内の市民センターで避難所開設していることから、鉄道駅周辺では帰宅困難者による避難が行われたものと考えられる。一方、その他の郊外部の市民センターでは、泉区I館のように、施設周辺の宅地やマンションからの避難が行われた傾向がある。
4-4.避難所運営の実態
避難所運営に関する記載を抜粋し、避難所運営主体ごとに分析した。結果を以下に示す。
①市民センターは収容避難所として指定されていたが、避難所としての位置づけが不明確であり、物資や食料が不足した状況で避難所運営を余儀なくされた。また、区災害対策本部や地域団体から情報がもたらされる指定避難所とは異なり、情報の入手も困難な状況であった。
②施設職員のみ及び行政職員が運営に参加した市民センターは物資や食料の不足、情報確保が特に困難な状況であり、地域団体と連携した避難所運営を強く求めていたことが伺えた。
③地域団体が運営に参加した市民センターでは、地域団体の参加により円滑な運営を行えた事例も見られたが、運営に参加した地域団体の属性や時期により、物資食料、情報の入手が解決されていたとは言えない事例や、行政職員が派遣されないことでの指定避難所との支援の格差を訴える市民センターも見られた。
④市民センターで避難所運営を行う地域団体と避難者が、支援を求める在宅避難者に対し難色を示した事例も見られ、単に地域団体による運営への参加が避難所運営に良い影響を与えたとは必ずしも言えない状況であったことが考えられる。
4-5.震災時の市民センターの活動実態のまとめ
震災時における市民センターの活動実態を把握し、避難所開設の要因と避難所運営の実態について明らかにした。結果は以下の通りである。
①市民センターの避難所開設は、収容避難所で想定された指定避難所からの2次的な避難は行われず、計10の開設パターンが見られた。開設理由やフェーズは各市民センターで異なり、外部からの避難所開設指示・要請の有無で大別された。
②避難所開設要因として、外部からの指示要請の有無に関わらず指定避難所の機能不全や避難生活への不安が挙げられ、行政、住民ともに指定避難所の代替避難施設として認識されていたことが考えられる。また、避難者が発生した市民センターでは、指定避難所への移動や余震が続く中での安全確保が困難な要配慮の保護、発災当日の悪天候などの人道的観点からの避難所開設を行っており要因のひとつであると考えられる。
③立地特性では、内陸部の仙台市中心部やその周辺部、鉄道駅周辺では帰宅困難者が市民センターに避難しており、中心部に近い郊外部の市民センターでは地域住民が避難後に帰宅困難者が避難している。また、中心部から遠く団地を有する郊外部では施設周辺の宅地やマンションからの避難が行われた。
④運営実態としては、市民センターの災害時の位置づけが不明確であり、物資や食料、情報が不足した状況で避難所運営を余儀なくされた。特に施設職員のみで運営を行った市民センターは顕著であり、地域団体と連携した避難所運営を強く求めていた。一方で、地域団体が運営に参加した市民センターでも、地域団体の属性や参加時期の遅れにより、物資食料、情報の入手に苦慮していた事例や、地域団体が支援を求める在宅避難者に対し難色を示した事例からも、単に地域団体による運営への参加が避難所運営に良い影響を与えていたとは必ずしも言えない状況であったことが考えられる。
5.震災後の地域防災体制の変化
震災後の地域の変化と、市民センターの関与の有無を把握するためヒアリング調査を行った。
5-1.ヒアリング調査概要
ヒアリング調査対象は、市民センターの立地分類と避難所開設パターンが異なる5つの市民センターの管轄中学校区を選定した(表8)。また、調査対象者は震災後から現在に至るまでの地域の変化を把握するために、対象とする市民センター管轄地区の連合町内会関係者とした。質問項目は、「対象者の基礎情報」「震災時の状況」「震災後の地域の変化」「地区の現状」の4項目から、震災後の地域の防災体制の変化と、それに伴う市民センターの関わりの有無を尋ねた。
5-2.ヒアリング調査結果
ヒアリング調査の結果を以下に示す(表9)。
①地域の防災体制の変化としては、ヒアリング調査対象全5地区において、震災時の経験から単位町内会ごとに避難先の指定や避難所の開設、運営体制の明確化が共通して見られた。
②地域防災体制の検討には、各地域で市民センターの関わり方に差が見られた。
③市民センターが地域防災体制の検討に関わっている地区のうち、太白区F地区(内陸郊外部)、青葉区G地区(内陸中心部)では、震災前より市民センターを地域組織内の構成員の一部であり、震災後の地域防災体制の検討においても共同で検討、策定を行っているとした。太白区E地区(津波浸水隣接地域)では震災後、太白区E館職員からの提案で連合町内会と学校職員、太白区E館の3者で地域防災体制を検討する総会を実施したほか、E館自体も事務局として運営の一端を担っていることから、3地区での市民センターの関わり方に違いが見られた。
④市民センターの関わりがなかった地区のうち、太白区J地区(内陸郊外部)では市民センターの関与はみられず、補助避難所の開設方法や運営体制について連合会は想定していないとした。また、若林区B地区(津波浸水地域)においても、高齢者の収容施設として連合町内会との協議のもと決定したとの回答があったものの、実際の開設手順は不明であるとした。若林区B地区では、連合町内会と市民センターの間で施設利用や連携、交流が見られるものの、太白区J地区では地域団体の施設利用のみで、ほか4地区のような共同事業や連携は見られなかった。
以上から、地域防災体制の検討において太白区J地区及び若林区B地区で市民センターとの関わりは希薄であった。理由として、両地域の市民センターの避難所運営に町内会が参加していなかったことで実態や課題が把握されず、主な避難先であった小中学校との協議に終始したことが考えられる。若林区B地区では、津波による大規模な避難が行われ、指定避難所の運営に連合町内会及び地域団体が追われていた中で、市民センターは比較的少数の避難者数で施設職員が対応した。太白区J地区では、市民センターへの避難者が町内会に加入していないマンション自治会であり、各町内会は指定避難所の被災にも集会所の使用で対応したため、市民センターの状況が連合会に認知されていなかった。このように連合町内会が市民センターの避難所運営に参加し震災後に市民センターの避難所としての位置づけを明確化した3地区とは異なり、太白区J地区及び若林区B地区では連合町内会が指定避難所での対応に専念したことから、市民センターの避難所開設の必要性が認識されなかったことが考えられる。
6.まとめと考察
6-1.市民センターが果たした役割と課題
①果たした役割について
(1)市民センターは、避難所指定の有無に関わらず地域住民や行政や学校職員から、避難所または指定避難所の代替施設として認識され、役割を果たした。特に内陸部の仙台市内中心部やその周辺郊外部、鉄道駅では帰宅困難者、宅地では施設周辺の住民やマンション住民が避難する傾向にあった。
(2)指定避難所への避難が困難な要配慮者の収容を行った事例や、和室や複数のトイレを備え、各室が区切られている施設特性から、地域団体の判断により指定避難所内の要配慮者及びインフルエンザ罹患者の収容を要請した事例も見られ、要配慮者の保護や、要配慮者及び隔離が必要な避難者の2次避難先としての役割を担った。
(3)指定避難所の被災を受け、町内会は集会所を代替避難施設として使用したが、指定避難所に代わる避難施設を持たないマンション自治会の避難先としても使用された。
以上のような役割を担えた背景として、市民センターには体育館など避難者収容を行える程度の建物規模があったことや、施設職員が常駐しており開錠や施設使用の要請が直接行えたこと、なにより避難所収容を公共施設の行政サービスとして行わなければいけないという施設職員及び避難者の意識があったものと考えられる。
②課題
(1)避難所開設した市民センターの多くは、物資食料の不足した状況で運営を余儀なくされ、避難所運営は困難を極めたことで多くの市民センターでは地域団体の避難所運営への参加を求めた。
(2)実際に地域団体が運営に参加することで、運営が円滑化した市民センターも見られたが、地域団体の属性や参加時期により、物資食料、情報の入手が解決されていたとは言えない事例や、指定避難所との支援の格差を訴える事例、避難所内の連帯感から、支援を求める在宅避難者に対し運営参加者が難色を示した事例も見られ、即席の避難所運営組織には良い影響ばかりではないことも明らかになった。
(3)施設職員は避難所開設に伴い、宿泊勤務を余儀なくされるなど、精神身体面の負担の大きさも課題であった。
6-2.震災後の地域変化と課題
①震災後の地域変化
(1)地域の変化として、市民センターが避難所開設した5地区で、震災時の経験から単位町内会ごとに避難先の指定や避難所の開設、運営体制の明確化など防災体制の構築が共通に見られた。
(2)地域の防災体制の検討では、震災時の市民センターの避難所運営に対して連合町内会の参加の有無により5地区で差が見られた。
(3)地域団体が運営に参加した地区では、震災前より地域団体の一員として種々の地域活動に関与していた太白区F地区、青葉区G地区と、施設職員の提案により地域防災体制の検討を行う団体を設立し、事務局として市民センターが運営の一端を担っている太白区E地区では、「補助避難所」となった市民センターの避難所の開設運営が明確に定められている。
(4)施設職員のみで避難所運営を行った地区のうち、若林区B地区は地域団体の行事や祭りなどで密接な関係にあるが、市民センターの避難所開設は、高齢者の収容施設として連合町内会との協議は行っているものの、実際の開設手順は不明であるとした。同じく太白区J地区では、防災体制の構築にあたり市民センターの関与はみられず、補助避難所の開設方法や運営体制についても連合会は把握していない状況であった。
②課題
(1)震災後の地域における防災体制の検討は主に連合町内会が主体となるため、連合町内会が課題意識を持っていない場合は、避難所である施設の要望は反映されにくい。
(2)町内会に加入せず集会所を持たないマンション住民などの避難先としても市民センターは活用の可能性があるが、連合町内会が必要ないと判断した場合は、避難所開設の検討もなされない可能性がある。
以上から、現状の仙台市地域防災計画では、補助避難所の運営及び開設は、地域団体と施設管理者の協議のもと地域版避難所運営マニュアルを作成した上で行うとされている。一方で、町内会の加入率の減少や、新型コロナウイルス感染症の影響で活動が制限され、避難所運営体制の再検討も求められる現在においては、町内会未加入者の避難や、新型コロナウイルス感染症に対応した避難所開設が検討されない可能性もあることから、仙台市地域防災計画の町内会重視の考え方について、再検討も必要であると考えられる。
6-3.今後の避難所活用の展望
①市民センターは想定できない大規模災害に向けて、2次避難のみならず避難者発生時の収容方法や運営体制を従前に明確化する。
②避難所運営は施設職員だけでなく町内会など災害時にある程度機能する地域団体との協力体制を検討する。
③避難所開設の基準は、地域内の町内会以外の集合住宅や帰宅困難者の発生など地域特性を踏まえたうえで、町内会との協議だけでなく学校職員や、商店、企業などの地域の関係者との協議を行ったうえで施設職員を中心に策定する。特に内陸部では、震災時の実態より避難者の発生や属性傾向が明確であるため、震災時の対応を踏まえ再度地域防災体制の検討を行うべきであると考える。
謝辞
本研究にあたり、資料提供をいただきました仙台市、公益財団法人仙台ひと・まち交流財団をはじめ、ご助力いただいた全ての方々に心から御礼申し上げます。
注
注1) 2011年12月22日に東日本大震災時の仙台市内各地域が抱えていた課題の把握を目的として、各市民センターに対し震災時の市民センター及び周辺地域の状況、今後の取り組みについての回答をまとめた資料である。作成趣旨やまとめ、今後の取り組みについて記された3ページからなる序文と、市民センター57館分の回答資料で構成されている。各市民センターの回答資料は自由記述であり、各館により情報の偏りや未記載の項目があるため、文章中から読み取れる情報のみを用いて分析した。
注2) 「避難してきた」「押し寄せた」「避難所・場所を探す」「避難を求めた」の文章から判断した。
注3) 市民センター施設内に避難者を収容したのち、宿泊を伴った避難が行われた場合は避難所開設とした。「収容」「受け入れ」「避難所開設」の文章から判断した。
注4) 避難所開設有とした市民センターのうち、避難所の運営を行った者の属性について記載する。特に記載のない場合は施設職員が行ったものとした。
参考文献
1) 冨手冬樹:東日本大震災をふまえた公民館等の役割と課題に関する調査研究(1年次報告),平成23年度岩手県生涯学習推進研究発表会資料,http://www2.pref.iwate.jp/~hp1595/mamabinohondana/pdf/h23shinsai.pdf,(2022年7月12日閲覧)
2)Araki Y.et al.:Setting up Patterns of Non-Designated Emergency Shelters after The Tsunami Evacuation-A case study in Kamaishi city after The Great East Japan Earthquake and Tsunami,Journal of Architecture and Planning(Transaction of AIJ)No.741,pp.2885-2895,2017.11(in Japanese)
荒木裕子,坪井塑太郎,北後明彦:津波被災後の指定外避難所の発生傾向に関する研究-東日本大震災後の釜石市を事例として-,日本建築学会論文集,第82巻第741号,2017.11
3) Sakata K, et al.:A Study on the range of shelters in Kobe Earthquake Disaster -A case study of the shelters in Nada ward in Kobe city,Journal of Architecture,Planning and Environmental Engineering (Transactions of AIJ),No.501,pp.131-138,1997.11(in Japanese)
坂田弘一,他3名:阪神・淡路大震災における避難所の圏域構造に関する研究-神戸市灘区の避難所を対象として-,日本建築学会論文集,第501号,1997.7
4) Araki Y.et al. Setting up Patterns of emergency shelters in coastal plains-A case studey in Higashi Matsushima city after The Great East Japan Earthquake and Tsunami, (Transactions of AIJ),No.768,pp.361-370,2020.2
荒木裕子,坪井塑太郎,北後明彦:平野を有する沿岸部での未指定避難所の発生傾向に関する研究-東日本大震災時の東松島を事例として-,日本建築学会計画系論文集,第85巻第768号,2020.2
5)佐藤優太,畠山雄豪:東日本大震災における指定外避難所の発生要因と運営実態-宮城県仙台市高砂市民センターを対象として-,日本建築学会大会学術講演梗概集,2021.9
6) 仙台市教育委員会:令和3年度仙台市市民センター事業概要,2022年9月, https://www.sendai-shimincenter.jp/welcome/summary/hmmr2n000000 0pcr-att/hmmr2n000006xdlb.pdf
7) 仙台市防災会議:仙台市地域防災計画【共通編】,2022年11月, http://www.city.sendai.jp/kekaku/kurashi/anzen/saigaitaisaku/torikumi/kekaku/documents/r4-11_chibou_kyoutuu.pdf