歩行者のメタ認知に関する研究 ―安全行動に関する自己評価への背景要因―Research on metacognition of pedestrian -Factors contributing self-evaluation on safety-
菅沢 俊平
問題
安全行動の実現のためには、危険を知覚できる事やそれに対処する種々の能力は不可欠であるがそれだけでは十分ではなく、自分は何が出来、何が出来ないかといったことや、自分はいかなる危険な判断行勤をするかといったことを、正しく理解していなければならない。こうした自らについての知識と理解、そしてそれに基づく評価と行動の制御ーこれらの自分自身について認知する認知活勤を包括してメタ認知と呼び、これらを行う能力をメタ認知能力と呼ぶ(三宮真智子 2008)。
交通心理学における先行研究では自動車ドライバーのメタ認知の不正確さ、具体的にいえぱ運転技能についての自己過大視(過信)が危険な運転に繋がる事が指摘され(Keskinen et al,1992. Katila et al,1995)、安全な運転行動のためには、運転技能の向上だけではなく自己の評価を適切に行えるようになる事が必要とされた(Hatakka et al,2002)。こうしたことからEUや日本ではメタ認知の教育が自動車ドライバーを対象とした安全教育を考える上でのひとつの課題となっており、研究がすすめられている。
ところで、交通心理学ではメタ認知についての研究やメタ認知技能教育の多くは自動車ドライバーを対象として行われているが、メタ認知技能は全ての交通参加者に不可欠なのであり、その研究や教育の対象を自動車以外の交通参加者にも広げるべきではないかと考える。そして中でも本研究では歩行者について問題としたい。
その最大の理由としては、平成24年の統計において交通事故死者の内に占める割合で最も多い(37%)のが歩行者である事が挙げられる(警察庁統計,2013)。そして歩行者死亡事故の9割以上は自動車との衝突により発生し、その時自動車ドライバーの多くは安全不確認や脇見運転、漫然運転の状態にあったとされ(交通事故総合分析センター,2012)、自動車側が歩行者に注意が払っていないことが事故の一因と考えられる。確かに自動車側には交通弱者を保護する義務がある。とはいえ自動車ドライバーもまた人間であり、ミスもすれば気が抜けることもあるのが現実である。歩行者の交通安全の実現のためには、自動車側が安全を目指すのみならず、歩行者側も自己防衛の必要があるのではないだろうか。
また、歩行者死亡事故の多くでは歩行者側にも違反があることも、歩行者についての研究や教育の必要を考える上で指摘しなければならない事柄である。平成22年度に行われた調査では、歩行者死亡事故の約8割は自動車が直進している状態で発生し、その事故件数の約7割には歩行者側にも違反が有ったとされ、その違反の中で最も多かったのは横断に関するものであったとされている(交通事故総合分析セン夕ー、2012)。
つまり歩行者事故が起こる時、自動車側には注意の問題があるが、歩行者側の行動にも相当な問題があると言えよう。以上のことから歩行者の自衛能カと安全行動の獲得が今後の課題となると思われ、そのためにメタ認知を軸とした自己評価の研究と教育を歩行者についても行うべきであると考える。
目的
そこで本研究では、歩行者の自己評価の妥当性と自己評価に影響を及ぼす背景要因を明らかにすることによって、今後の歩行者教育やその研究に寄与しうる資料を作成することを目的とする。
特に以下の点について検討する。
・性別や年齢といった属性要因が歩行者の自己評価にいかなる影響をあたえるか。
・歩行者の自己評価は、交通安全に関する教育(具体的には運転免許取得時の教育)を受けたことによって影響されているか。
・歩行者の自己評価は客観的な能力について理解した上でなされているか。これについては自己評価と能力の間に正の相関があるものと推察する。
・歩行者の自己評価は自己の危険行動についての認識した上でなされているか。
方法
1.調査対象
①東北工業大学に通う学生
②塩釜中央自動車学校の職員と教習生、及ぴその家族を対象とした。
2.調査日時および場所
東北工業大学における調査は2013年4月16日に行った。 塩釜中央自動車学校における調査は、12月から1月にかけて行った。
3.調査方法
本学における調査は、講義終了後に質問紙を配布し調査を実施した。塩釜中央自動車学校における調査は質問紙の配布と回収を依頼し調査を実施した。
4.調査項目
基本属性
性別、年齢、免許の有無と運転免許の内容(自動車・二輪車・原付・教習中)、通学の主な手段について回答を求めた。
自己の安全度評価
横断場面について3場面の写真を提示し、文章と口頭で「このような場面であなたは、いつも安全に横断していますか? 日ごろ自分が行なっている横断歩道の渡り方を思い出して、100。点満点で評価してください」と教示を行った上で、自分の横断行動の安全度について「とても安全」を100点、「とても危険」を0点として11件法での評定を求めた(以降は「自己評価」と表記する)。
危険知覚テスト
自己評価で用いた3つの横断場面の写真上に「気になる場所」に○印を書くよう教示した。各場面について、横断歩道における典型的な事故事例を参考に顕在的な危険と潜在的な危険の二つの危険を設定し、回答者がその箇所に○を書いた場合に1点とした。なお、顕在的危険の最高点は7点、潜在的危険の最高点は5点である。
リスクテイキング行動尺度
森泉慎吾・日井伸之介ら(2011)によって作成されたリスクテイキング行動尺度(RPQ)を参考に、確信的敢行性の因子を外し、安全性配慮因子の項目を6項目追加して20項目を作成した。
この尺度は、ギャンブル志向性・状況的敢行性・安全性配慮の3つの下位尺度から成り立つ日常でのリスク傾向を測る尺度であり、「全く当てはまらない」から「非常にあてはまる」までの5件法による評定を求めた。
結果
1.属性の全体像
a)属性の全体像
年齢や性別等を尋ねたフェイスシート、自己評価用紙、心理尺度の質問紙が揃った413名のデータを分析対象とした。この内男性が322名(63.5%)、女性が185名(36.5%)であった。なお2名は性別の回答が無かった。平均年齢は28.12歳(S.D.=17.75)であった。 この内最年少は17歳、最高齢は85歳の者がー名あった。そして運転免許の保有状況については413名のうち、運転免許の保有者は125名(30.3%)、教習中の者は186名(45.0%)、免許を持たない者は75名(18.0%)であった。また、不明・未回答の者が27名居た。
b) 性別と年齢
次に性別毎の平均年齢を見ると男性が29.34歳(S.D.=18.90)、そして女性が26.29歳(S.D.=15.58)であった。平均年齢について性差の有無を確認するため、2群の平均値の差の検定(Welchのt)を行った。結果、年齢の性差に有意傾向が認められた(t(404.34)=1.79、p=0.07)。
c) 参加者年齢と運転免許保有状況の関連
そして運転免許保有状況毎の平均年齢をTable.1に示す。運転免許保有状況毎の平均年齢の差異を確認するため一元配置分散分析を行った。結果、全体として平均値に有意差が認められた(F(2,403)=98.06, p<.001) 。
2. 歩行者としての自己評価と属性要因の関連
a) 性別による自己評価の差異
性別による自己評価の差異を検討する。そのために性別で群を分け2群の平均値の差の検定(Welchのt検定)を行った。その結果、自己評価の平均値に性別による差に有意差は認められなかった。なお、性別ごとの自己評価の平均値はTable.2 に示す。
b) 自己評価と年齢の関連
次に年齢と自己評価の関連を検討するために、2変数間の相関係数を求めた。結果、自己評価と年齢の間に有意な正の相関が認められた(r=.26, n=392, p<.001) 。
c) 自己評価と運転免許保有状況の関連
そして自己評価と運転免許の保有状況の関連を検討する。運転免許の保有状況ごとの自己評価の平均値はTable.3に示した。なお、運転免許保有者を免許の保有形態毎に厳密に分割すると自動車運転免許のみの群以外の人数が少ないため、運転免許保有者・教習中・免許非保有者の3群に分割することとした。そして一元配置分散分析により、3群の平均値を比較した。結果、運転免許の保有状況による有意な差が認められた(F(2,384)=3.02, p<.001)。
次にTukey-Kramer法による多重比較を行い群間の平均値を比較したところ、運転免許保有者群と教習中群の間、運転免許保有者群と非保有者群の間で有意差が認められた(それぞれ p<.01,p<.05)。
3. 歩行者としての自己評価と心理的要因の関連
a) 自己評価と場面に感じる危険度の3場面平均値の関連
まず自己評価と場面に感じる危険度の平均値の間の関連を検討するため、相関係数を求めた。その結果2変数の聞に有意な正の相関が認められた(r=.25, n=392, p<.001)。
b) 自己評価と危険知覚能力の関連
次に自己評価と客観的な能力との関運を検討するため、自己評価と顕在的危険知覚得点、そして自己評価と潜在的危険知覚得点のそれぞれ2変数聞の相関係数を算出した。結果、自己評価と顕在的危険知覚得点の間には有意相関は見出されなかったが、自己評価と潜在的危険知覚得点の間に有意な相関が認められた(r=.11,n=392, p<.05) 。
c) 自己評価と自己の危険行勁についての認知の関連
自己評価と自らの危険行動についての認知の関連について検討を行うために、自己評価とリスクテイキング行動尺度の3つの因子について先と同様にそれぞれ相関係数を求めた。その結果、自己評価と関連が見出されたのは状況的敢行性因子と(r=-.24,n=392,p<.001)、>安全性配慮因子であった(r=-.13,n=389,p<.06)。
自己評価とギャンブル志向性因子との間には有意な相関は見出されなかった。
4.属性要因と心理的要因が自己評価に与える影響
歩行者としての自己評価を目的変数、属性要因や各心埋尺度を説明変数とした重回帰分析を行った。なお、性別・免許の有無や種類といった属性項目については、名義尺度のデー夕であるためダミー変数を作成した(性別は男性が0、女性を1。免許の種類は自動車、二輸車、原付、教習中第一・第二段階・いいえ(未保有)について〇が書かれたものを1、書かれなかったものを0としてコード化した)。変数の投入にはステップワイズ法を用いた。Table.4は自己評価を従属変数として重回帰分析を行った結果である。このモデルは自己評価の変動の約14%を説明する。
状況的敢行性得点や安全性配慮得点が高いほど自己評価は低くなる事が分かる。そして自動車運転免許を保有している場合自己評価は約7.8点、二輪車運転免許を保有すると約9.3点高まり、また場面の危険度を高く評定するほど自己評価が高まる事が示された。
5.その他の分析
・運転免許の保有状況と危険知覚能力
次に、運転免許の保有状況による危険知覚能力の各能力の差異を検討するため一元配置分散分祈を行った。その結果、顕在的危険知覚の得点では有意差は認められず、また潜在的危険知覚得点においては全体としては有意傾向が認められ(f(2,402,)=2.51, p=.083)、Gabriel法による多重比較では免許保有者群と非保有者群の間で有意傾向となった(p=.072)。
考察
本研究は自己評価の背景要因を明らかにするため、歩行者を対象として交差点を横断する場面での確認行動についての自己評価を求め、その評価と様々な要因の関連を検討したものである。
まず、歩行者としての自己評価に性差は認められなかった。自動車ドライバーを対象にした自己評価に関する研究では、安全確認についての自己評価は男性の方が高いとされているが(中井,2010)、本研究では異なる結果となった。この事については、今回の自己評価を求める項目が1項目しかないために、性差が現れなかった可能性が考えられる。今後は自己評価を求める要素項目を増やして研究を行う事が求められよう。
次に歩行者としての自己評価と年齢との関連では、単相関分析では弱いが正の相関が認められたが、重回帰分析では有意な説明変数とはならなかった。その他の分析において年齢と自己評価に影響を与える様々な説明変数との間に関連が見られたことから、年齢は自己評価に影響する変数に間接的に関わっているために、単相関の分析において有意相関として現れてきたものと思われる。
そして免許保有者と教習生、免許保有者と非保有者の問で歩行者としての自己評価に有意差が認められ、重回帰分析では自動車免許や二輪車免許を持つ事が自己評価を高める可能性が示された。その他の分析においても、免許保有者と非保有者の問で潜在的危険知覚能力に傾向差がある事を合わせて考えると、免許保有者の歩行者としての自己評価が免許非保有者のそれよりも高いことはある程度納得の行く結果ではある。
そして歩行者としての自己評価の妥当性を検討するために、危険知覚テストを行った。その結果、自己評価と顕在的危険知覚得点との間には相関関係は認められず、潜在的危険知覚得点との間では有意相関が認められた。しかし自己評価と潜在的危険知覚得点との間の相関係数は0.11と小さい値であり、また重回帰分析では顕在的危険知覚も潜在的危険知覚の得点も自己評価の説明変数とはならなかったことから、自己評価は客観的な能力についての認知から成り立つとは言い難いと思われる。このことから、危険知覚能力の向上は無論目指すべきであるが、同時に自らの能力を正しく認知出来るように支援していくことが今後の歩行者安全教育の目標の一つになると思われる。そのためには「予知郎」(太田博雄 1997)のような危険知覚力の測定やフィードバックを行うツールを歩行者用にも作成することや、自動車ドライバーを対象に行われているような危険予測ディスカッションやコーチング技法による受講者の気づきを中心とした安全講習などを、歩行者教育の場にも応用して行くことが望まれる。
そして自己評価と状況的敢行性因子との間、また安全性配慮因子との間で有意な負の相関が認められた。なお状況的敢行性因子は「ある状況の影響を受けてリスクを敢行する傾向」、また安全性配慮因子は「リスク回避の傾向」と定義されており、両因子ともその得点が髙いほどリスク敢行傾向が強いと解釈される。状況的敢行性と安全性配慮の両因子得点が自己評価の高低と関連することについて考えられることは、まず人は自らのリスク行動について認知し、その知識を用いて自らを評価している可能性。そしてもうーつはリスクテイキング行動尺度が実際にリスク敢行行動と関連していて、高得点になるほど危険な体験が多くなり、結果として自己評価を低く評定する可能性である。どちらにしても仮説にとどまるが、自らの危険性について認知がなされており、そのことが自己評価に影響しているのではないかと考えられる。
その他の分析において興味深いのは、危険知覚テストの潜在的危険知覚得点について免許保有者と免許非保有者の間に傾向程度ではあるが差が見出された事である。先に述ペた岐阜県警の「免許非保有者は免許保有者よりも歩行者事故に遭いやすい」とする統計が示されたその理由を説明する可能性がある。ただ本研究では運転免許の保有状況を聞いたのみで運転経験の年数や運転頻度などを尋ねなかった為、何らかの運転免許を取得すれば危険知覚能力が高まるのか、運転免許を持ちその上で公道上での運転経験が必要であるのかは定かではなく今後の課題となろう。また、今回の危険知覚テストは静止画像の中から危険と思われるものを探すと言う形を採ったが、実際の危険知覚には距離や速度の判断も含まれると考えられる。以上の項目も測定可能な危険知覚テストを構築し、免許保有者と非保有者の比較し検討をすることができれぱ、より免許非保有者の問題点が明確になり、適切な教育を考えることができるようになるものと思われる。
参考文献
Keskinen, E., Hatakka, M, Katila, A. &Laapotti, s. 1992 Was the renewal of thedriver training successful? The final reportof the follow up group (in Finnish).Psychological reports No.94, University of Turku.
Katila, A., Keskinen, E. & Hatakka, M. 1996Conflicting goals of skid training.Accid.Anal.Prev. vol.28, No.6, 785-789.
三宮真智子(編著) 2008 メタ認知 一学習力を支える高次認知機能一 北大路書房.
警察庁 2013 平成24年中の交通事故の発生状況.
太田 博雄 1997 高齢者向け交通安全教育のための危険感受性訓練CAIシステムの開発.平成6年度~平成8年度科学研究費補肋金(試験研究B、基盤研究B)研究成果報告書.
中井 宏・臼井 伸之介・藤井 秀郎・谷川 幸男 2010 教習生の個人属性と自己評価スキルの関運. 交通心理学会平成22年度(第75 回大会)発表論文集,9-12。
中井宏 2010 自動車運転場面における不安全行動抑止のための人間工学的研究ー速度抑制対策の有効性検証と自己評価の観点を含めた安全教育の構築一.大阪大学大学院人間科学研究科博士論文.