旧仙台領域における建築⽣産組織と建築細部意匠に関する研究A Study on the Mobilizations of the Architectural artisans, and the Ornamental Design forthe Shrines and Temples in the Sendai Clan
佐藤 諒
本研究では旧仙台領域における建築生産組織と建築細部意匠について考察を進めてきた。建築生産組織の考察では、民営の建築生産組織に着目した。民営の建築生産組織は、諸職人棟梁によっておおよそ代官所在地ごとに職制を管理されていた。この民営の職人が管理されていた地域を諸職人棟梁支配域という。諸職人棟梁支配域の職人から建築に関わる職人(建築工匠)を抽出し、今回収集できた6つの諸職人棟梁支配域で比較したところ、各支配域によって建築工匠の職種や員数に違いを確認することができた。また、この建築工匠の活動領域は、その支配域内だけでなく、支配域外でも造営や修繕など建築生産活動をしており、造営活動において建築工匠の交流が確認できた。
建築細部意匠においては、造営史料が残されていることが多い社寺建築に着目した。社寺建築における建築工匠の技術を判定する指標として先行研究でも多く用いられている細部意匠(古建築に用いられる装飾的部材)について旧仙台領域内の傾向や統計を求めることで分析を行った。その結果、旧仙台領域内では、蟇股の脚先において脚先凸曲線蟇股のものが一般的に用いられていることが分かった。また、お抱え大工が用いる蟇股の脚先形状を確認したところ、脚先凸曲線蟇股や脚先S字曲線蟇股を用いていた。
これらの分析結果を基に、建築生産組織と建築細部意匠の関係から建築細部意匠を特徴付ける要因の中に地域性や、藩に抱えられている大工と民間の大工の違い、所属地域(諸職人棟梁支配域)による違いなど何らかの関係性がないかを考察した。この考察に伴い、建築工匠の居住区や所属などが判明する宮城陸方・浜方に属する多賀城市域の4棟の社寺建築に着目した。この4棟は仙台城下の大工が手掛けたものが2棟、宮城陸方・浜方の大工が手掛けたものが2棟である。仙台城下の大工が手掛けた蟇股の脚先形状は脚先凸曲線蟇股も用いているが、お抱え大工が江戸初期から中期に用いていた脚先S字曲線蟇股の意匠も江戸中期から後期において用いていた。 宮城陸方・浜方の大工はこの脚先S字曲線蟇股の意匠を用いておらず、脚先凸曲線蟇股のみであった。今回の分析では、脚先S字曲線蟇股の意匠は旧仙台領域内の民営社寺建築ではあまり用いられていない蟇股の脚先形状であった。この結果により、脚先S字曲線蟇股はお抱え大工が用いていた意匠の一つであるが、町方・村方の大工の中でも仙台城下の大工はこの脚先S字曲線蟇股の影響を受けてと考えられる。
つまり、同じ町方・村方の大工の中でも、仙台城下の大工と宮城陸方・浜方の大工では用いる蟇股脚先の意匠に違いがあり、所属地域によって、お抱え大工の意匠への影響の受け方に違いが見られることが、限られた範囲ではあるが確認することができた。