Creature と Create -蚕と繭がつくる地域のつながり―

大学院・デザイン工学専攻で学ぶ先輩たち(3)

令和6年度 大学院ライフデザイン学研究科デザイン工学専攻「社会価値と地域共創」より

by Natsumi ABE

写真1 「絹と繭の手工芸展」開催会場となった「ひころの里」内部の展示風景(書=著者筆)

南三陸・入谷の養蚕業

南三陸町にある入谷地区は養蚕業が盛んであった。江戸時代の藩政期に入谷の山之内甚之丞が養蚕と生糸製造技術を持ち込んだことが始まりであり、農家の副業として営まれてきた。また「養蚕業」と同様に商品価値の低い屑繭を使って作成する「まゆ細工」が発展していった歴史がある。家庭内の主婦たちの楽しみとして、入谷地区ではツツジやウメを疑似化したモノを盆栽として作成している。これは昔の暗い民家の玄関先に飾ることで、色の鮮やかさが目立ち、映えていたのではないかと考える。かつて盛んであった「養蚕業」は衰退し、現在、生業として行っている人は数が知れている。自家消費として発展した「まゆ細工」も同様で、養蚕業が衰退するごとにまゆ細工を行う人たちも減少してしまった。

写真2 入谷の小学生が作成した「まゆ細工」の作品

現在では、入谷地区のとして地域のシルクレディースと呼ばれる方たちが地域の子どもたちにまゆ細工を教えている。主にツツジやウメを作るための基本の花のつくり方やマスコットのつくり方を教えている。また、小学校の卒業式には、まゆ細工で作ったコサージュを卒業生が胸に付け、参加する。地域の歴史を知るということが目的ではあるが、子どもたちと地域の人たちとのコミュニケーションをとるためというのが主なのではないかと考える。まゆ細工を「工作」というツールにし、小学生と地域の主婦たちが関わり、コミュニケーションが生まれる。そのような行為が、地域の見守り、繋がりになっていく。

「まゆ細工」のコサージュ

様々な過程がひとつひとつ繫がり、重なって、現在の入谷地区をつくっている。以前は生業としていた「養蚕」が、趣味としての「まゆ細工」になり、今では、コミュニケーションの「ツール」となっている。一つの生物から生み出されるモノがこんなにも人々の生活を豊かにし、人と人を繋ぐ「糸」となっているのではないだろうか。

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