向き合い、立ち上がる荒浜を伝える。

大学院・デザイン工学専攻で学ぶ先輩たち(4)

令和6年度 大学院ライフデザイン学研究科デザイン工学専攻「社会価値と地域共創」より

by Kotaro ARATA

「環境」を自分ごとにするフリーペーパー

仙台市では若者の感性やアイデアを活かす環境づくりとして「仙台まちづくり若者ラボ」を実施している。「環境」チームとして参加し、最終的には環境を自分ごととして捉えてもらえるようにフリーペーパーを作成した。今回はその中でも「荒浜」にフォーカスして、行われている活動や想いをまとめた。

写真01 作成したフリーペーパー

深沼ビーチクリーン

深沼ビーチクリーンは宮城県仙台市若林区荒浜の深沼海岸で行われている浜辺の清掃活動である。地域の方やボラン ティア、家族連れなどが参加している深沼ビーチクリーンに参加すると共に主催である庄子隆弘さんへお話を伺った。

写真02 2024 年に14年ぶりにオープンする深沼海水浴場

庄子さんへの取材では、「環境」という概念が独り歩きし、どこか身近に感じることが出来ない状況にあるのではないかということが指摘されていた。深沼ビーチクリーンは環境問 題をなんとかするという意識よりも、自分の故郷を綺麗にしたいという素直な想いから活動が始まっていると話していた。
庄子さんが感じた自分の故郷を綺麗にしたいという気持ちが、自分が使う海岸を綺麗にしたいという想いへと波及し、利用者が次の人のためにきれいにするという循環が生まれている。それは、人と地域性と環境を深く結び付けて考えた活動と、誰でも参加しやすいようにした環境づくりによって、引き起こされているのだろうと考える。

写真03 深沼ビーチクリーン主催の方へ取材

実際に活動に参加した中では、釣竿、麻袋、ペットボトル、タバコの吸い殻等のゴミを拾った。中にはゴミ袋に入らないような大きさのゴミも見られた。時間が経つにつれ参加者が増え、海岸がきれいになっていく実感を得た。海水浴場としての利用が再開された今、この活動がさらに強い意味を持つようになり、より重要な役割を持つようになる。きれいな海水浴場で過ごすために、自分のペースでビーチクリーンに参加していきたい。

写真04 深沼ビーチクリーンの様子

荒浜灯籠流し

荒浜地区は東日本大震災により、災害危険区域に指定され 住むことができない土地となった。800世帯2200人が暮らしていた荒浜では多くの方が亡くなり、ほとんどの建物が流された。現在、震災遺構として公開されている荒浜小学校からも津波の脅威を感じさせる。

写真05 100年以上の歴史を持つ荒浜灯籠流し

荒浜の灯籠流しは被災した年にも行われていた。街灯が無い中、日の出ている明るい時間に行う形で、その歴史が紡がれてきた。2018 年からは周辺の整備が進み、夜に行われる本来の形を取り戻している。灯籠流しで流れている灯籠は荒浜に住まわれていた方が持ち寄ったものが浮かべられる。灯籠は一つとして同じものはなく、作った人それぞれによって言葉が綴られ、浮かぶ光一つ一つに思いが込められている。灯籠を浮かべきった後、浄土寺の住職の方による念仏詠唱が始まり、ゆったりと川面を眺める時間が過ぎていく。

写真06 灯籠流しの準備風景

19時半を迎えると、震災により亡くなられた人達の数と同じ192の花火が打ちあがる。灯籠流し後の花火は約50年前に荒浜の青年団により行われていた歴史があり、その花火を懐かしむ声もあって2019年から打ち上げられている。灯籠流しという行事を絶やすことなくつなぎ続けている人には、荒浜に住んでいた方だけでなく想いに共感した人々も加わり、多くの人で紡がれているのだと知った。荒浜が故郷である人にとって、住む場所は失われても、そこは故郷であり続ける。そんな故郷に集まり、再開を懐かしみ喜ぶ声が聞こえる場が守られ続けてほしいと願い、来年もこの場で大切な人を想う時間を過ごしたい。

写真07 灯籠流し後に打ち上がる192の花火

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